2015年06月27日
「あん」を観て~カナリアは出演者
「あん」を観に行きました。河瀬直美監督の新作です。
過去にささいなことで服役したことのある雇われどら焼き店の店長永瀬と常連客だがいつも一人で店に来る母子家庭の中学生内田、その店にふらっと来てハンセン病を隠し働き出す老婆樹木、そして内田が飼ってはいけないアパートで母に文句を言われて飼っているカナリアが主な出演者です。
カナリアは始め内田のアパートの床に、次は内田の勉強机の上に、次はアパートの住人に苦情を言われ内田と共にとも永瀬の店に、そして徳江に預けられ外に放たれます。
映画の中で永瀬と内田もずっと居場所がなく、これからの人生が見えません。生き生きしているのは、店で働いている樹木だけです。しかし彼女は病のため、いままでずっとカゴの中の鳥と同じ人生で初めて日の当たる社会で生きたのでした。樹木が作るあんこのシーンが丁寧に映され、樹木の今までの人生を無駄に生きていないことを映しているようでした。
樹木の作るあんが話題になり、どら焼き屋は繁盛しますが、樹木の病が知られ客足が遠のき、樹木も黙って去ります。永瀬と内田はカナリアを預けるため樹木を訪ね樹木の人生を知り、新しいどら焼きを創ろうとしている時、雇い主から同じ店で雇い主の親戚がお好み焼きを焼くことになります。またやる気をなくす永瀬と進学に悩む内田は再び樹木の住む施設へ、樹木は亡くなっていて、録音テープが残されています。預かったカゴの中のカナリアを放ったこと、永瀬の店に行った理由・・・・・。
桜咲く春になり、内田は高校生に、永瀬は露天で自分のどら焼きを売っています。二人の顔はこの映画で最高の笑顔、充実した毎日を送っていることがわかります。
この映画に出てくるカゴの中にいても居場所のないカナリアは、樹木の人生であり、映画の中の永瀬と内田であり、ラストで外に放たれたカナリアはラストの永瀬と内田であり、映画の中でどら焼きやで働く樹木を表していると思いました。いい作品だと思います。
過去にささいなことで服役したことのある雇われどら焼き店の店長永瀬と常連客だがいつも一人で店に来る母子家庭の中学生内田、その店にふらっと来てハンセン病を隠し働き出す老婆樹木、そして内田が飼ってはいけないアパートで母に文句を言われて飼っているカナリアが主な出演者です。
カナリアは始め内田のアパートの床に、次は内田の勉強机の上に、次はアパートの住人に苦情を言われ内田と共にとも永瀬の店に、そして徳江に預けられ外に放たれます。
映画の中で永瀬と内田もずっと居場所がなく、これからの人生が見えません。生き生きしているのは、店で働いている樹木だけです。しかし彼女は病のため、いままでずっとカゴの中の鳥と同じ人生で初めて日の当たる社会で生きたのでした。樹木が作るあんこのシーンが丁寧に映され、樹木の今までの人生を無駄に生きていないことを映しているようでした。
樹木の作るあんが話題になり、どら焼き屋は繁盛しますが、樹木の病が知られ客足が遠のき、樹木も黙って去ります。永瀬と内田はカナリアを預けるため樹木を訪ね樹木の人生を知り、新しいどら焼きを創ろうとしている時、雇い主から同じ店で雇い主の親戚がお好み焼きを焼くことになります。またやる気をなくす永瀬と進学に悩む内田は再び樹木の住む施設へ、樹木は亡くなっていて、録音テープが残されています。預かったカゴの中のカナリアを放ったこと、永瀬の店に行った理由・・・・・。
桜咲く春になり、内田は高校生に、永瀬は露天で自分のどら焼きを売っています。二人の顔はこの映画で最高の笑顔、充実した毎日を送っていることがわかります。
この映画に出てくるカゴの中にいても居場所のないカナリアは、樹木の人生であり、映画の中の永瀬と内田であり、ラストで外に放たれたカナリアはラストの永瀬と内田であり、映画の中でどら焼きやで働く樹木を表していると思いました。いい作品だと思います。
2015年06月23日
「バケモノの子」を観て~路地の花は何?
「バケモノの子」を観に行きました。細田守監督の新作です。
人が住む渋谷の街とバケモノが住む渋天街が舞台です。母が死に父は離婚していないため一人になった少年蓮がふとしたことで渋天外に紛れ込み、そこで熊徹というバケモノに育てられるという映画です。
細田監督の作品だけあって熊徹、猪王山、宗師、多々良、百秋坊など動物をモチーフにしたキャラは◎でした。
映画は冒頭に出てくる蓮の黒い影が人の心の闇で、バケモノにはなく人にある闇が渋天街と渋谷をとんでもないことになります。熊徹と蓮、猪王山と息子一郎彦、蓮と蓮の本当の父の三つの親子関係、熊徹と猪王山の戦い、ラストの鯨が渋谷を泳ぐシーンと内容は満載です。
バケモノには闇がなく、人には闇、普段見えないモノがある。この映画ではバケモノの世界は平和そのもので、刀をもっていても刀は抜けないようになっています。人の世界こそバケモノノ世界のようでした。
多々疑問点があり、チコは何か、一郎彦のその後は、途中から蓮は渋天街と渋谷を行き来できますが、その理由はわかりません。蓮がなぜ行き来できるようになったかが、路地で見かける花が理由ならおもしろいと思ったのですが・・・少し残念でした。

人が住む渋谷の街とバケモノが住む渋天街が舞台です。母が死に父は離婚していないため一人になった少年蓮がふとしたことで渋天外に紛れ込み、そこで熊徹というバケモノに育てられるという映画です。
細田監督の作品だけあって熊徹、猪王山、宗師、多々良、百秋坊など動物をモチーフにしたキャラは◎でした。
映画は冒頭に出てくる蓮の黒い影が人の心の闇で、バケモノにはなく人にある闇が渋天街と渋谷をとんでもないことになります。熊徹と蓮、猪王山と息子一郎彦、蓮と蓮の本当の父の三つの親子関係、熊徹と猪王山の戦い、ラストの鯨が渋谷を泳ぐシーンと内容は満載です。
バケモノには闇がなく、人には闇、普段見えないモノがある。この映画ではバケモノの世界は平和そのもので、刀をもっていても刀は抜けないようになっています。人の世界こそバケモノノ世界のようでした。
多々疑問点があり、チコは何か、一郎彦のその後は、途中から蓮は渋天街と渋谷を行き来できますが、その理由はわかりません。蓮がなぜ行き来できるようになったかが、路地で見かける花が理由ならおもしろいと思ったのですが・・・少し残念でした。