2012年04月04日
「ひまわり」を観て
「ひまわり」を観に行きました。
1980年のリバイバル以来、ビデオも観たことがありませんでした。
自分の記憶はいいかげんなものでした。
ローレンが夫に会った後、泣き崩れて終わりと思っていましたが、そのあと、元夫がイタリアまで訪ねて来て、夜、会うシーンがあるなど全く覚えていませんでした。
また、ソビエトで捜し回るシーンやひまわり畑の中のローレンのシーンはもっと長いと思っていましたが、思っていたより短く、冒頭とラストに一番ひまわりのシーンが多いことも意外でした。
オムレツのシーン、アントニオの母のシーンの多さ、仮病を使ったことなど、忘れていたシーンばかりでした。
途中、兵士の墓標が並んでいるシーンがありますが、今ならCGで簡単にできるシーンも、あれだけ並べるのはたいへんだったでしょう。
戦争で引き裂かれ、別々の生活になってしまう夫婦の悲惨さは、第二次大戦の終了から70年近く、この映画の公開から40年以上経って、感動が薄れていることを感じました。
それにしても、1970年の映画、大阪万博の年に冷戦下の中、ソビエト連邦にロケに行ったことは本当にすごい。

1980年のリバイバル以来、ビデオも観たことがありませんでした。
自分の記憶はいいかげんなものでした。
ローレンが夫に会った後、泣き崩れて終わりと思っていましたが、そのあと、元夫がイタリアまで訪ねて来て、夜、会うシーンがあるなど全く覚えていませんでした。
また、ソビエトで捜し回るシーンやひまわり畑の中のローレンのシーンはもっと長いと思っていましたが、思っていたより短く、冒頭とラストに一番ひまわりのシーンが多いことも意外でした。
オムレツのシーン、アントニオの母のシーンの多さ、仮病を使ったことなど、忘れていたシーンばかりでした。
途中、兵士の墓標が並んでいるシーンがありますが、今ならCGで簡単にできるシーンも、あれだけ並べるのはたいへんだったでしょう。
戦争で引き裂かれ、別々の生活になってしまう夫婦の悲惨さは、第二次大戦の終了から70年近く、この映画の公開から40年以上経って、感動が薄れていることを感じました。
それにしても、1970年の映画、大阪万博の年に冷戦下の中、ソビエト連邦にロケに行ったことは本当にすごい。