2012年01月03日

「聨合艦隊司令長官 山本五十六」を観て

「聨合艦隊司令長官 山本五十六」観に行きました。
「ノモンハンの夏」などの作家半藤一利氏の監修でしたので、史実は正確だろうと思ったからです。

映画は山本五十六を中心に進みますが、なにより、真珠湾、、ミッドウェイなどの戦闘シーンはCGで簡単に済ませています。今までにないシーンは、当時の日本国民が三国同盟、真珠湾で狂喜し、ミッドウェイで疑問を持ち出し、戦後手のひらを返したように民主主義に変わっていく様子を、新聞社の社員とともに映像化しています。
特に香川照之が演じる新聞社のトップは、三国同盟をあおり、アメリカとの開戦をあおり、真珠湾に狂喜し、ミッドウェイでウソの報道を、ガタルカナルでは敗戦を「転進」といって国民にさらにウソの報道をし、そして、ラストでは「民主主義」を報道する。戦争中のマスコミの節度のなさを映像化してありました。

映画の初めに、海軍の一人が「艦隊決戦で…」としゃべることがあります。当時の日本の海軍は、日露戦争のときの勝利が頭から抜けず、世の中が飛行機による制空権の奪い合いになっているのに、あくまで戦艦を中心とした敵艦隊の殲滅こそ勝利の方法だと疑っていなかったのです。第二次大戦は飛行機、潜水艦、レーダーの時代でした。NHKの「坂の上の雲」では、秋山真之が考えた戦法でロシア艦隊を壊滅させましたが、そのときから海軍の思考は止まってしまったのです。

以前、ミッドウエイ戦でなぜ、戦艦が被害がなく、空母ばかり沈められたのか不思議でした。後で本を読んで知ったのですが、海軍は空母とわずかな船で艦隊を組み、空母を守る船を同じ艦隊に入れていなかったのです。映画でもそのシーンは正確に描かれ、空母4隻は艦隊とはなれて航行しています。この戦いで帰るべき空母を失った日本機は燃料切れで海中に落ち、ベテランのパイロットをたくさん失ったのです。

パンフレットの1ページ目に現在の日本と昭和初期の時代が非常に良く似ていることが書いてあります。不況、雇用不安、所得格差、そして、首相がコロコロと交代したことがよく似ているのです。昭和初期に政治が安定しないで、次第に力を失い、代わりに力を持ったのは軍人でした。当時の軍人は軍の学校を出た成績で階級が決まっていました。学校の成績で将来が決まってしまうのです。能力ではありません。古賀茂明さんの本などによると、今の官僚も出身大学で将来が決まってしまい昭和初期とそっくりなのです。

掘悌吉が何度も出てきました。彼は「軍備は平和の保障である(戦争をするためではない)」という考えの人で当時の海軍から追われた人物です。山本五十六が死んだ後「山本神社」を立てる計画に反対し、中止させました。

この映画は、今回の原発の事故にもつながるのではないでしょうか。原発は事故は起こさないとウソの発言をしていたことや事故の後の東電や政府、マスコミの対応も、この映画の昭和初期と同じように見えてきます。

日露戦争のときの首脳(政府も軍も)は日本にそれほど力がないことを知っていました。だから、早く講和に持っていこうとしました。当時の首脳陣は明治維新の生き残りで学校もまともに出ていませんが、経験を通して「しなければならない事、そのために必要なこと」を良く知っていたのです。そして、日露戦争の首脳は責任を取るため児玉源太郎のように、自ら戦場に立ったのです。

私が「建築は大工が造ってきたが」や「学校では教えてくれない」に書きましたが、今は経験という学問を修めること、修めた人の重要さを忘れていると思います。○○学校を出た、資格を持っていることは問われますが、今まで何をしてきたかということは問われません。

劇場にあまり若い方を見ませんでしたが、ぜひ、若い方に足を運んで見てほしい映画だと思いました。
そして、五十六が映画の中で言った「目と耳と心を開いて世界を見る」、「何事も大元まで戻らないと大事なことを失う」はたいへんいい言葉だとおもいます。


  


Posted by まちの大工さん  at 15:14Comments(1)映画の話