2012年02月24日
「光市母子殺人事件の判決」の記事から
1月20日に約13年の月日ののち裁判は終わりました。
以前、門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」新潮社刊 を読んでいたので、本村さんには「御苦労さま」そしてこれからの被害者のために「ありがとう」言いたい気持ちです。
奥さんと娘さんを同時に失う、しかも、何の罪もない、11か月の子も…殺人をしても「少年法」に守られる加害者、しかも顔も名前も公表されない。逆に、被害者の家族は顔から年齢、ありとあらゆることが公表される。本を読んでいたときに、確かに被害者のことを守る法律はない、社会ではないと思いました。
2000年の判決のあと、本村さんは、「司法には絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会にだして私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します。」「遺族だって回復しないといけないんです。被害から。人を憎む、恨む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すには…死ぬほどの努力をしないといけないんです。」とTVのインタビューに答えたのです。
その時の総理は小渕総理で記者団に「本村さんの気持ちに政治家として答えないといけない。」と決断、3つの法律を通して亡くなります。しかし、この法律の成立が、それまで裁判を傍聴することしかできなかった被害者は、法廷で意見陳述を述べることができるようになるのです
そして、本村さんは2003年に全国犯罪被害者の会の人たちともに、小泉総理に会い「もっと被害者が裁判に参加して、自分の意見を言ったり、公の場で気持ちを打ち明ける場所作らないといけないと思います。」と訴え、それを聞いた小泉総理はすぐに「こりゃいかん。すぐやろう。」と言って、翌年、弁護士会の反対を押し切り、犯罪被害者保護の法律を成立させたのです。
本の中で2000年の判決の直後、TV出演のため飛行機に乗った本村さんに、CAが「がんばってください。」とだるまのキーホルダーを渡した話と事件の三ヶ月後に辞表を出そうとした本村さんに上司の日高さんの言った言葉「この職場で働くのが嫌なら辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言してくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい。」は本を読んでいて本当にいい言葉、エピソードだと思いました。
2009年に結婚されていたらしいですね。いろいろと言う人がいると思いますが、私は「よかった、おめでとう」と言いたいです。判決が出たあと、本村さんは一人で生きていけるのだろうか、気が抜けてしまうのではと思っていましたので。一緒にお墓に言ってくれるような方らしいですから、これから幸せになってほしいと思います。
このブログを読んだ方、ぜひ、冒頭のタイトルの本一度読んでみてください。必ず法を守ることが本当に正しいのか、法律も人が作ったもの、完璧ではないということを考えさせられます。
今回の報道を見ても、少年法とか死刑の判決のことが多く報道されますが、事件当時の日本では被害者のことを考えない裁判、報道が平気で行われていたことが当たり前だったこと、本村さんたちの活動で少しは変わってきたことはあまり報道されていません。今回の判決のあとも、本村さんの過去の映像が流れますが、カットして、その当時の状況は報道されないため、なぜこうなったのかよくわかりません。見ていてこんな報道でいいのか「なぜ、23歳の若者が13年かけて闘ったのか」は忘れられていると僕は思っています。
是非お勧めします。2010年に文庫になっています。

以前、門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」新潮社刊 を読んでいたので、本村さんには「御苦労さま」そしてこれからの被害者のために「ありがとう」言いたい気持ちです。
奥さんと娘さんを同時に失う、しかも、何の罪もない、11か月の子も…殺人をしても「少年法」に守られる加害者、しかも顔も名前も公表されない。逆に、被害者の家族は顔から年齢、ありとあらゆることが公表される。本を読んでいたときに、確かに被害者のことを守る法律はない、社会ではないと思いました。
2000年の判決のあと、本村さんは、「司法には絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会にだして私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します。」「遺族だって回復しないといけないんです。被害から。人を憎む、恨む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すには…死ぬほどの努力をしないといけないんです。」とTVのインタビューに答えたのです。
その時の総理は小渕総理で記者団に「本村さんの気持ちに政治家として答えないといけない。」と決断、3つの法律を通して亡くなります。しかし、この法律の成立が、それまで裁判を傍聴することしかできなかった被害者は、法廷で意見陳述を述べることができるようになるのです
そして、本村さんは2003年に全国犯罪被害者の会の人たちともに、小泉総理に会い「もっと被害者が裁判に参加して、自分の意見を言ったり、公の場で気持ちを打ち明ける場所作らないといけないと思います。」と訴え、それを聞いた小泉総理はすぐに「こりゃいかん。すぐやろう。」と言って、翌年、弁護士会の反対を押し切り、犯罪被害者保護の法律を成立させたのです。
本の中で2000年の判決の直後、TV出演のため飛行機に乗った本村さんに、CAが「がんばってください。」とだるまのキーホルダーを渡した話と事件の三ヶ月後に辞表を出そうとした本村さんに上司の日高さんの言った言葉「この職場で働くのが嫌なら辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言してくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい。」は本を読んでいて本当にいい言葉、エピソードだと思いました。
2009年に結婚されていたらしいですね。いろいろと言う人がいると思いますが、私は「よかった、おめでとう」と言いたいです。判決が出たあと、本村さんは一人で生きていけるのだろうか、気が抜けてしまうのではと思っていましたので。一緒にお墓に言ってくれるような方らしいですから、これから幸せになってほしいと思います。
このブログを読んだ方、ぜひ、冒頭のタイトルの本一度読んでみてください。必ず法を守ることが本当に正しいのか、法律も人が作ったもの、完璧ではないということを考えさせられます。
今回の報道を見ても、少年法とか死刑の判決のことが多く報道されますが、事件当時の日本では被害者のことを考えない裁判、報道が平気で行われていたことが当たり前だったこと、本村さんたちの活動で少しは変わってきたことはあまり報道されていません。今回の判決のあとも、本村さんの過去の映像が流れますが、カットして、その当時の状況は報道されないため、なぜこうなったのかよくわかりません。見ていてこんな報道でいいのか「なぜ、23歳の若者が13年かけて闘ったのか」は忘れられていると僕は思っています。
是非お勧めします。2010年に文庫になっています。